独善原因帰属論

 「♪ママァ〜ドュ、ユ,リメンバァ〜」ジョー山中が歌うテーマソングと、「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね…」というキャッチコピーが大流行した松田優作主演の「人間の証明」。やたら古い話で申し訳ないが、当時、斜陽時代に突入していた日本の映画界にあって、コケおどしとも言えるコマーシャリズムで、一世を風靡した角川映画の第一作であった。

 そのリメイク版のTVドラマが此間LAで放映されていた。竹野内豊主演で、緒方拳や松坂慶子が出ている豪華キャストだったが、やっと監禁から脱出した女の子が、その家の真ん前でノタノタと携帯していてまた捕まっちゃった…これの何処がサスペンスやねん?てな感じのアホな脚本だったので、真面目に見るのをやめた。

 だが一つだけ「おおっ!?」と思わされた。それは、殺された黒人の青年役を、何と顔を黒く塗った日本人俳優がやっていたからだ。(ま、混血だからということなんだろうけど・・)南国の孤島に住む原住民を、元祖ガンクロとも言えるメイクの日本人が腰蓑をつけて演技する・・あの怪獣映画幻の名作、『モスラ』の精神を、21世紀の日本TV界が脈々と受け継いでいた事を知り、アタシは感動の念を感じざるを得なかった。

 ・・ところでこのドラマは、己の出世のために過去を消そうとして、自分の息子まで消してしまった母親の話である。そんなことも現実にあるんかいなぁ〜などと思いつつ、こんなことを考えた。 母親が台所でバケツにつまずいて転んだ。床も自分も水浸し。母はこう叫ぶ。「だれよ!こんなところにバケツを置いたのは!」自分が転んだのは他でもない、バケツが置かれてあった環境のせいである。

 それでは、今度は自分の息子が同じようにバケツにつまずいたとする。すると母はこう叫ぶ。「もっと気を付けなさい! 何でアンタはそんなにそそっかしいの!?」この場合、息子が転んだのは環境のせいではなく、彼の性格が原因である。

 お金持ちの女性は、近づいてくる男が本当に自分のことを愛しているのか、「この男は私じゃなくて、お金にひかれているのではあるまいか?」などと、どうしても疑ってしまう。一方、借金を抱えた女性がプロポーズされれば、「この男性は心から私を愛しているのだワ!」 と感じる。

 つまり、一つの原因に別の原因が加わると、初めの原因が割り引かれ、一つの原因に何かマイナス原因が加わると、初めの原因が割り増しされる。これを原因帰属理論と言うが、こういうこともある。男の中で女が一人だけとか、年長者の中で一人だけ若いといった場合、もし、その人が何か失敗をしでかすと、その目立った特徴が原因(少なくとも一つの)であると周囲は考える。

 このコラムを読んで、誰かが笑っていたとする。そうすると、笑いの原因はその人にある。が、コラムを読んだ人全員が笑っていたとすると、笑いの原因はコラムにある。このように、周囲にいる子をかたっぱしからいじめているいじめっ子がいたとすると、いじめの原因はそのいじめっ子にあると人は考えるが、ある特定の子だけが、いつもいじめられていたとすると、原因はいじめられっ子にあると考える。

 いじめる側も、いじめられる側も、主張をさせれば、それなりに正当な理由があるものだ。そこで、状況次第では、あの子はいじめられても仕方がないという考え方が発生する。これは結局、いじめの正当化であり、人間性を剥奪されたいじめられっ子は自分の行き場を失ってしまう。ここに根本的ないじめの問題がある。

 自分が待ち合わせに遅刻した時は、「ごめ〜ん!道がスゴイ混んでて…」などと必死に言い訳をするが、相手が遅れてくると、「いい加減なヤツ!」と、心の中で断罪する。我々が教会でスタッフと一緒に共同作業をした場合、「誰が一番苦労していると思うか?」と聞くと、およそ8割の人が「そんなの自分に決まってんじゃん!」と心の中で答えてるそうである。

 アタシは友人に恵まれている。よく働く人、よく考える人、よく気がつく人等々、みんなとてもいい人達である。ただ、いつも感じることは、みんなその“いいこと”を人に対しても、無意識の内に要求しているということである。よく働く人は、他の人もよく働くべきだと思っているし、アタシのような優しい人は、「優しくないから問題が起こるのぢゃ!!」と怒ったりしている。

 ま、とにもかくにも人間はこのように考えてしまうものなのである。「複雑な人間関係なんか、もうイヤだよぅ〜!!」 と、誰もが夕日に向かって叫んでいるが、実は親子も、夫婦も、恋人も、友達も、会社の人間関係も、「絶対に自分の方が正しいんだ!」「一番苦労しているのは自分なのダ!」という、あまり根拠のない思い込みが、発端になっているのである。

 世の中はいつも正しいか、正しくないかというポイントが重要視される。が、この“正しい”がクセモノなのだ。CSルイスという人が、「喧嘩をする時、人は必ず“絶対的に正しい基準”というものに訴える傾向がある。ところがこの基準を実際に守っている人など誰一人いない。」と言っていたが、全くもって同感である。

 確かに、いったい何をもって正しいとするのか? ここが問われねばならない。アメリカだけではない。金正日だって、タリバンだって、「へっへっへ・・オレたちゃぁ妖怪人間なのさ・・」という自覚の上であんなことをしているのではない。「ススメ!ススメ!!正義は我に有り!」と勝手に思い込んでる分、事態は深刻なのである。

 これは決して人事ではない。単に自分が考え出した個人的な理由付けなど、真実とは何の関係もないということを、アタシ達も十分キモに命じておく必要がある。世の中で起こっている様々な現象の原因は、そう簡単に判断出来るようなものではない。だが、それに対する答えを各人が勝手につくり出し、事実世の中は、このような実体のない理由付けによって動かされている。考えてみたらこれは恐ろしい話である。

 そこで結論。もはや問題は正しいか、正しくないかではない。もう、そのようなザートらしいことを主張し合うのはやめようではないか。事の真相は、その動機が愛であるか否かである。人間誰にでも良心というものが備わっているため、口先でもそう簡単には言えない分、愛は地球を救うというのは、実に紛れもない事実なのである。
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