教会エステルとチビマルコ

 オリンピックが始まらないと、愛国心が出てこない人々がいる。先週、某牧師の機嫌がナニゲに悪いので、婦人にワケを聞いてみたところ、日本の野球チームのふがいなさに、怒りを超えて失望しまくっていたのだという。ちなみにその牧師は、「怒りと失望は、神との関係を阻む大敵なのぢゃ〜〜!!」と、普段から教会で叫んでいる。

 しかし、幸いなことに、彼は後でことの成り行きを知り、深く悔い改めたという。それは、北京五輪日本選手団の団長さんが、「星野ジャパンは大いに問題がある!!」という批判記事を、新聞に掲載していたからだ。

 「オリンピック選手は、選手村に入ることが原則。試合に勝つためには、そこでチームジャパンとしての意識を作らねばならない。プロの強い選手を集めて、チョコチョコと練習して勝てるような、そんな甘いもんじゃない。(*オリンピックをなめんなよ!! *筆者談)」と、反町ジャパン(サッカー)を含めた一部団体球技について厳しく批判。

 つまり、星野ジャパンは選手村に入らず、北京市内にある超一流ホテルに宿泊していたのだ。同じプロでも、何年も前から同じ釜のメシを食べながら、強い連帯感とチームプレーをつくってきたアグレッシブな韓国チームに、セレブな日本チームが勝ってもらっては困る。「日本は負けて当然だったのだ!」

 やっぱり傲慢はいけません。そりゃ、日本選手だってやることをやってきたから、相当な実力はあったんだろうけど、「オレたちゃ、他とはちぃと違うんだゼ」的なことが頭に散らついてはもういけない。そうなったら、後は盛者必衰の理(ことわり)をあらわし、春の夜の夢のように散っていくことになるからである。

 このことはアタシたちも決して他人事ではない。教会にはニセ謙遜やニセ受容なる得体の知れないものがウヨウヨしているからだ。「そんなぁ、私のようなつまらない者がそんな大役など、とんでもございません!」なんて言ってる人に、「そうかぁ、あなたってつまらない者だったのね」などと同調しようものなら、その人は絶対に怒る。どうして怒るのかというと、本当は自分のことをつまらないとは思っていないからである。

 ある婦人が、最近教会に来だした茶髪青年にこう言っていた。「なかなか似合うワヨ。教会も個性的でなくっちゃネ」 アタシは関心して、「どうしてそう言ったの?」と尋ねたら、「カウセリングのクラスでそうしろと言われたから」 と言う。しかし、その後に彼女はこう付け加えた。「でも、世の中の人はそうは思わないんですよね〜」と。

 そう・・・その世の中の人って誰?「いわゆる世間の常識と言うものかしら。わたしはそうは思わないですけどね」 ふ〜ん・・でも、その世間の常識を言っている人は誰なの?「言ってみれば、一般的な社会通念と言いますか・・・」 だからさ、その一般的社会通念を言ってる人って誰なのよ? 「それはぁ・・・」と、キリがないのでやめたが、要するに彼女の本音は男の茶髪など許せないのである。

 肉体は衰えても、霊は日々新しくなって行くというのが、クリスチャン最大のメリットである。クリスチャンとして年季が経てば、それなりに成長してしかるべき…はずなのだが、10年ぶりに会ったけど、10年前より顔のシワの数が増えただけで、後はおんなじ・・という人々が教会にも多々存在する。

 クリスチャンなら、クリスチャンとしての理想像を、誰しも自分なりに想定しているものである。ところが、この思いはたいがい自分じゃなくて他人に当てはめられていることが多く、そのことに気付かず、他人の言動ばかりに気を取られながら時が過ぎると、教会で賛美歌を歌い、聖書を語っている自分と、日常生活の自分とのギャップを埋める方法が分からないまま、二重生活をおくることになる。その結果、教会ではエステルだが、日常生活ではチビマルコという結末に落ち着くのである。

 言うまでもなく、週に一度教会で1-2時間会うだけで、親密な人間関係など築ける道理はなく、それで兄弟姉妹と呼び合うのはかなり無理がある。大体、教会に来ている人は、お互いにクリスチャン!という態度で接しているので(当たり前だが)、話しの内容も聖書や信仰がらみ(?)が中心となり、日常生活のことまで話しが及ぶことはほとんどない。アタシなど、以前通っていた教会で毎週会っていたAさんとBさんが夫婦であったことに気付くまで2年半かかったことがある。

 普段は聖書を神棚に上げ、日曜日に教会に行くだけの所謂、サンディクリスチャンという人々に伝道は難しい。何故なら、彼らの生活は一般人とほとんど変わりないので、いざ、聖書の話をしようとしても、話が宙に浮いてしまうからである。聞かされる相手にしてみれば、話の途中で、「あ、ちょっと待ってね」とか言われて、押入れから出した壺を、突然売りつけられるような気分になるので、当然上手くいくものもいかなくなる。

 と言うワケで、教会生活と日常生活を分けてはいけない。野球選手は、ヒットさえ打てれば、いくら性格が悪かろうが関係ない。ゲージツ家の場合は、日常生活がボロボロだった方が、かえって説得力があったりする。ところが、アタシたちだけは、そうはいかないのだ。いくら教会生活を取り繕っても、日常生活がボロボロだと非常にマズイことになる。建前で天国に入ることは出来ないからである。
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