罪と唾

 先日、5番フリーウェイをアナハイムに行く途中、「神様が信じられないあなた、そんなあなたは一人じゃない・・」とか何だかよく分らないビルボードがあった。そして今、ロンドンの街には、「神は多分いない。だから安心してこの世を楽しもう!」という看板を付けたバスが走っているらしい。そんなことをわざわざ主張したところで、無神論者にとっても、何の得にも膏薬にもならないと思うのだが・・・。

 日本では、ストーカー常習犯で逮捕された40男が、「いつもは警告なのに、何で逮捕されなきゃいかんのだ!? いつもと同じことやっただけじゃないか!!」 と警察に抗議したとか、「オレたちは世間を“あっ!!”と驚かすようなスゲーことやったるゼ!!」とか言って、何やったのかと思ったら、駐在所の窓に石を投げて捕まった少年達とか、とにかく、このような驚くべきアホな主張が益々エスカレートしていく世の中にあって、人々は益々神から離れていっている。

 クリスチャンになるなんて実に簡単なことなのに、どうして人は神様のことが分らないのだろう? 世の中の人を10人別に区分すると、一人はクリスチャン、二人は名ばかりクリスチャン、3人は教会の近い所にいるノンクリスチャン、4人は教会の遠い所にいるノンクリスチャン。つまり、クリスチャンは世界的に10人に1人の確率だが、日本人に関しては500人に1人もいない。こういった現実を見る時に、結果的にクリスチャンになるのは、非常に難しいことだと言える。

 では、どうしたらその難関を突破出来るのか? 神様から選ばれたから? 霊的センスの良さ? 素直さ? 死にそうになったから?等々、色々な要素が考えられるだろうが、少なくとも、その人がクリスチャンになるかならないか、聖書の言葉がピンと来るか来ないかは、その人の頭の良し悪しとは関係ない。もし、頭の良い人にクリスチャンが多いのなら、ノーベル賞受賞者などはクリスチャンだらけのはずである。ところが、アタシのような者が牧師をやっていることから考えても、現実はその逆である。

 クリスチャンになることを阻む最大の原因は何か? それはズバリ、「罪」の問題である。「自分が罪人であることを認められるか否か?」そこがクリスチャンになるかならないかの分かれ目となる。だから教会は暗いのよと言われようが、そんなこたぁ聞きたくと言われようが、自分とは関係ないと言われようが、クリスチャンはすべからく、この難関を通らねばならない。罪が分らなければ、赦しは分らない。赦しが分らなければ救いも分らない。救いが分らなければ十字架など絵空事だし、復活などはトンチンカンの極地である。

 ちなみに、世の中で、この「罪」を問題として取り上げているのは、教会だけである。世間にあるどんな宗教も、哲学も、精神分析も、カウンセリングも、人生相談も、罪意識については取り上げるが、その原因となる罪については、何も言及していない。いや、出来ないのである。何故なら、罪は、霊的分野におけることだから。

 と、そこまでは新生したクリスチャンなら納得出来るだろうが、それから先が問題である。中川健一師が初めて教会に言った時の感想は、「何ちゅうアホなとこや、二度とこんな所へ行くか!!」であった。教会で一人の青年が、彼の前にツカツカとやって来て、いきなり「あなたは救われてますか!? 」と、聞いてきたと言うのである。「何でこのオレが救われなあかんねん!?」この反動は中川青年に限ったことではない。

 特に日本人の場合、罪といえば犯罪を意味するので、警察に捕まった経験がなければ、罪人だと言われても、どうしても他人事としか受け取ることが出来ない。だが、聖書が言う罪とは、「的外れ」という意味である。その的とは、宇宙を創り、地球を創り、アタシたちを創られた神様のこと。その神様に対する感謝のカの字もなく、無視して生きていること、即ちそれが「罪」なのだと聖書は語る。

 人が、自分が罪人であることが分からないことのもう一つ理由は、人は自分の姿を客観視することが出来ないからである。汚い話で大変申し訳ないが、例えば、真っ白なお皿に唾を吐き出して、それを眺めてからもう一度、なめろと言われたら、誰だって気持ち悪くて出来ない。だが、その唾が自分の口の中にあるときは、誰も汚いとは感じていない。人は一度で外に出して客観的に眺めたものを、また自分の中に戻そうとは決して思わない。罪とはそういうものである。

 アタシの説教録画が不本意にもたまに掲載されているが、そこにいるのは、包み込むような優しさで愛を説く癒し系牧師ではなく、「何でこんなことがわからんのんぢぁ〜!!」と叫びまくっている一風変わった牧師である。福音を語っている時でさえこの調子なのだから、怒ってる時や、不機嫌な時などは、どれだけ恥ずかしい姿であることか、考えただけでもゾ〜ッとする。それでも不平不満を言いつつ、こうやって生きていられるのは、自分の姿を客観視出来ていないからに他ならないのである。

 実は、今までアタシたちが生まれてから今日まで、自分が口にしたすべての言葉、心に思ったすべての考え、密かに行って来たすべての行いは、鏡張りになっており、その向こう側に神様がおられる。これは冗談でも脅しでもなく忠告である。この神様の視線、存在を無視している限り、人は一生、奇妙で、トンチンカンで、アホなことを主張し続けることになる。とにかく、何か少しでもヤバイことをした覚えのある人は、早く神様に謝った方がいい。天国には、アホなことを主張している人など一人もいないのだから。


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