ゴッホって分かる?

 随分前の話だが、NYのメトロポリタン美術館でのこと。アタシの目の前22cm先にゴッホの絵があった。そこで突然、ゴッホがなぞった絵の具のふくらみに直接触れてみたい衝動に駆られた。平日のせいか周囲には人影もなく、そぉ〜〜と指を伸ばそうとした。が、もしここに本人がいたら、やっぱ怒るだろうなぁ・・と、思い止めた。 

 アメリカ人はC調でいい加減な奴が多いと、大抵の日本人は思っているが、アメリカにある美術館で、アタシのようなフトドキな奴が名画に粗相をして捕まった!というような話は今まで聞いたことがない。徹底した個人主義ではあるが、その行為は各自への信頼と責任の上に委ねられている。

 これが日本だと絶対にこうはいかない。ゴッホなんったら、当然ガラスとロープ張りの最低観客の2m先にあるワケで、しかも後ろには人がいっぱい並んでて、おそらく10秒とは観ていられないだろう。日本ではゴッホもジャニーズも全盛期のパンダもおんなじ。この点においては、どう考えてもアメリカ人の方が大人である。

 ところでこんな逸話がある。晩年のピカソを取材していた雑誌記者が、アトリエでおもむろに立ち上がったピカソが、いきなりキャンバスに向かってシュ!シューー!!てなスゴイ勢いで何かを描き始めたもんだから、「おおっ!さすがゲージツ家!」と感動した記者が、「センセ、この絵のテーマはいったい何でしょうか?」と聞いたら、ピカソはこう答えたそうな。「あン?ワシャ今鉛筆研いただけなんよ…」

 わが敬愛する小林秀雄大兄が「ピカソが分らんちゅーのは、ただ観慣れとらんからぢゃ!!」と、何かの随筆に書いていたが、部屋中ピカソだらけにしたところで、面白くない人には一生面白くないのではないかしらん。。

 それにしても、多くの日本人の場合、鑑賞の前にどうも肩書きが必要なようである。日本で絵画や器の展示会などに行くとよく分かる。ほとんどの人がまず作品より先に作者の名前と値段を確かめてから「う〜ン・・」とか言っている。この「う〜ン・・」が作品に対する感動なのか、それとも値踏みなのか? そこのところはアタシにもよく分らないが、この態度は欧米人の目にはとても奇妙に映るらしい。

 要するにゴッホだったから感動したのか? 感動したらゴッホだったのか? ということである。もし、ゴッホが現代に生きる無名の画家だったとする。あなたは、ナイフで切り取った自分の耳を、女性に送りつけるようなアブナイオジサンが描いた絵を見て、果して素直に感動出来るだろうか??

 そんなゴッホを唯一愛していたゴッホの弟。画商だった彼は、兄の作品を売ろうと懸命に奔走した。しかしその弟でさえ、兄の絵を生涯一枚も売ることができなかった。それは当時の人々が絵を観るセンスがなかったと言うより、ゴッホが無名の変人だったからである。

 いまや、これだけ有名になってしまった絵を、何の先入観もなく、もう一度新たに見直すことは難しいだろう。最も、普段我々が見ているゴッホの絵はいくら個性的とはいえ、要はコピーなのだから、本物の色合いや、立体感などは伝わってこないだろうが、いずれにせよ、我々はゴッホというブランド名を前提にあ〜だこ〜だと言っているのである。

 さっき日本の雑誌を見ていたら、こんな新刊本の広告が載っていた。「天才芸術家、岡本太郎と歩んだ日々」なるほど...岡本太郎が天才芸術家なら、天才じゃない芸術家もいるわけだ。確かに巷では、独創とは名ばかりの模倣にしかすぎないニセ芸術家が、大手を振って歩いている。人生のために芸術があるのが一般人、芸術のために人生があるのが芸術家、あとはインチキである。

 政治家の息子は努力すれば政治家になれる。医者も弁護士も同じ。しかし、芸術家は努力してなれるものではない。作為を超越した創作活動によって、普遍性を持つまでに昇華して生まれた芸や作品。それらの作品に込められた魂と、人間が持つ美しいものに対する憧憬とが共鳴した時、人はそれを芸術と呼ぶ。

 ところが、芸術家は創作活動はするが、営業活動が出来ない。しかも、世の中はアタシのような凡才が大半を占めるのだから、芸術家も中々浮かばれないのである。アタシは宮沢賢治とモジリアーニのファンだが、彼等も生前全く無名であった。そう、バッハだって当時は教会に勤める一用務員のオジサンに過ぎなかったのだ。

 よく「JAZZはよう分らん」とか言う日本人がいるが、JAZZは分るためのものではなく、楽しむためのものである。アタシの場合、「ゴッホは自分が吸い込まれていくようなアブナイ感じが何となくええなぁ〜」くらいの感想しか言えない。だから「ゴッホが分るんか?」と聞かれても答えようがない。しかし理由がどうあれ、自分がそれを本当に好きだと感じられればそれでいいではないか。

 ただ、ものを観る時に単なる好奇心や、ただボ〜っと見ているだけでは、それが本当に自分が好きなのかどうかも分らない。どんな芸術でもそれを受け取る対象があって、初めて芸術として成り立つのだから、鑑賞する我々庶民側にも責任がある。一言で言えば“心眼で観る”。先入観や、既成概念を排除した心の目で観なければ、誰も本当の美しさを感じ取ることは出来ないのである。
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