おバカの壁

 サザンオールスターズの桑田氏がある雑誌のインタビューで、「ウソ臭いものが好きなんですよ。ウソもこれだけ並べたらホントみたいな・・。社会性もゼロだから、僕らの歌は脳には絶対来ないけど、心には来るみたいな…」と答えていた。そこでアタシは膝を“ポン!”とたたき、「さすがはニッポン一の歌謡ポップバンドのリーダー、アッパレなお答えぢゃ!」と、感嘆せずにはいられなかった。

 そうなのだ! 21世紀は本物の時代であって、問題の核心は心っーか、魂。それが歌であれ、絵であれ、文章であれ、それが魂にまで到達しているかどうかがキーポントなのだ。桑田氏は昔っから「タダの歌詞じゃねえか、こんなもん」と、自分のつくった歌をどこか突っ放しているようなところがあるが、それだからこそ、作者の思い入れから離れた普遍的な輝きが作品からきらめく。これこそウソから出た真である。

 ところがあにはからんや、多くの日本の文化人(?)は物質至上主義とでも言うか、肉体と大脳による思考が全だと考えている霊的文盲の人があまりに多い。目の前にある現実が全てであって、目に見えない霊だの、魂だの、形もないものに時間を費やしたり、論じたりすることなど、バカげていると考えているのである。その代表とも言える人が、此間LAで講演会があった「バカの壁」の養老孟司氏である。

 自分と考えが違うからではない。そんなこと言ってたら、アタシャ読む本なんぞなくなっちまう。自分と意見が違う人がいて当然だし、違えば違うなりに、その違いを参考にすればいい。この本の反論本もいくつか出ているようだが、ところがそれすらアタシには面白くないのだ。今更こんなこと論じたくもないワみないな・・つまり、アタシ版バカの壁である。

 それにしてもこの本は、人生に答えなどない、個性など尊重すべきではないから始まって、インドのカースト制はジョブシェアリングだの、芥川と小学生の文章は科学的に優劣付け難いだの、キリスト教のような一神教はフィクションだの・・。もし、この本がアタシのような何の肩書きもない三文コラムニストが書いていたとしたら、アホかコイツは…と完璧無視されるか、袋叩きにも合いかねないような内容である。

 じゃ、何でこの本がこんなにバカ売れしたのかというと、理由は大きく六つ。一つ、680円だったから。二つ、短くて直ぐに読めるから。三つ、著者が東大の名誉教授だったから。四つ、「バカの壁」、「話せば分るは大嘘」というタイトルとキャッチコピーが素晴らしかったから。五つ、戦争やテロなどで揺れ動く世相を反映したから。六つ、世評に釣られた付和雷同型読者が沢山いたから。
 
 確かにこの本のキャッチコピーは、現代の矛盾を一言で言い表しており、イラクへの自衛隊派遣や北朝鮮の拉致問題などなど…誰もがみんな「バカの壁」を築き、自分が知りたくないことには耳を貸そうとしない。本当に現実はバカの壁だらけ・・・と、コミュニケーションに不安を持つニッポンの国民が拍手喝采をしたという次第。

 とまぁ、この辺りまではいいのだが、「脳の活動は、Y=AXという一次方程式であらわされる(Y=出力、X=入力、A=本人の感情や興味の係数)。つまり、Aがゼロの場合、入力から出力は生まれず、Aが無限大の場合、ある情報・信条がその人にとっての絶対のものになる。つまり、Aがゼロや無限大の場合、互いに会話が通じなくなる」

 こんな風に数式を出されると理系オンチのアタシは、分かる話も余計分らなくなってしまう。「人間は分っていることと、分りたいことしか分からない。そこには、A=0というバカの壁があるからだ!」と言うのがこの本のテーマらしいが、う〜〜ん…早い話がこれって、「馬の耳に念仏」つぅ今までの理解じゃダメなのかしらん?

 それにつけても小泉首相まで味方に回し、自衛隊イラク派遣の正当性主張に対して、世論が反対多数であることに「バカの壁」を引き合いに出すのはどんなもんか。それって「国民の無理解は、国民がバカだからだ!」と言ってるようなものでないの。

 また著者は、自分が大学で教えている生徒達が授業を聞いていないことや、若者達の思慮が浅いこと、また、我慢出来ない子供達が増えたことや、ホームレスが増えたことの理由を「バカの壁」だとしているが、果たしてそれ等の原因は本当に「バカの壁」なのだろうか? それを単に「相手がバカだから伝わらないのだ」という、相互理解への断念の正当化だとすると、多分この本は英訳しても欧米じゃ売れないと思う。

 とにかく、これだけ一元論を徹底的に蔑んだ本が世間を騒がしているということは、同時に多くの軋轢を生んでいるということである。「みんなで普遍的なルールを作りましょう!」ったって、みんなで「どんなルールがいい?」と提案した後に起こるのは「このルールがいいんだ!」という主張争い。それこそ、養老氏の言う「バカの壁」ではないか。

 そして、この本の致命的な欠陥は、「じゃ、どうすりゃいいのか?」という提案がないことにある。最初はいいけど、結論に来ると結局堂々巡り。それがこの本の、いや、人間思考の限界なのである。しかし、これで終ってたんではこのコラムも同じく意味がなくなってしまうので、ここで人間が達し得たひとつの結論を紹介したいと思う。

 「人間の本性を知った者は死か、狂気か、宗教か、この3つしか道はない」と、こう語ったのは誰あろう夏目漱石。漱石ほど徹底的に「人間の本質」を描き上げた作家はいない。彼は哲学者も及ばない洞察力と、天分の筆力で人生の根本的な問いについて、他人どころか、自分をもまともに愛することが出来ない己の姿を、作品を通して告白していった。

 漱石文学の特徴は世界共通の倫理である「正直さ」にあった。しかし、倫理を立てれば自分が倒れ、自分を立てれば倫理が倒れる。人間がいくらこの問題で苦悩しようとも、そのどちらにも解決はない。彼も結局、この解決不可能な問題を我々の前に提示していたに過ぎず、そして実際、彼の人生はその洞察通りのものとなった。太宰、芥川も然り。

 となると、我々一般庶民が平気で(てこともないんだけど・・)この世に生きていられるのは、彼らのレベルまで人間を洞察していないからである。養老氏とて例外ではない。もし我々が自殺もせず、狂気でもないとすれば、養老氏は世間によくいるカンチガイオジサンで、アタシは宗教家ということに落ち着かざるを得ないのである。
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