真相シーソー

 職業がら、人の生死に係わる場面によく遭遇する。昨日は告別式だった。先月の伝道集会に、初めてウチの教会に来てくれた一人の青年が、その数日後、突然32歳の生涯を閉じてしまったのだ。彼の遺体はサンペドロの海で発見されたそうだが、原因は未だ不明。日本から来られた彼のお父さんが、LA警察の捜査不足と、自殺だとは考えられないと、涙ながらに話しておられた。

 その告別式の帰り、去年の暮れに起こった松沢師の死亡事件に対して教団が発表した公式声明文(Topicsの日本宣教参照)のことが、何となく頭に浮かんでいた。松沢師は、アーサー・ホーランド師の相棒として、依然からよく話しは伺っていたが、一度も面識はなかった。彼が牧会していた成増教会が、妻の実家に割と近いので、一度寄ってみたいと思っていた矢先の事件だった。

 松沢師のことは、ミッションバラバやロードエンジェルス、アーサー師の本などで、ご存知の方も多いと思う。新宿の元チンピラ。喧嘩のしすぎで十代の時から歯は総入れ歯。そのユニークな経歴で、NGOに参加したり、映画出演、本の出版、ハーレーで日本を縦断したり等々、ユニークな伝道活動を行っていた牧師であった。

 今回の事件の内容について、アタシはいくつかメディアに掲載されていた記事以外は何も知らない。 不倫心中説だの、悪魔祓い失敗説だの、世間はまぁ、実にいろんなことを言っているようだが、興味本位な憶測コメントなどは問題外。どのような事情だったにせよ、彼らの死を巷の三流ゴシップ誌のレベルに下げるようなことはしてはならない。

 とにかく今回の事件を、当事者として最も深刻に受け止めているのは、教団であろうし、事件の真相について、警察から全ての説明を受けた上での発表である。教団の人達の意見も様々だろうが、その声明文の内容は要するに、「松沢補教師は、主の御名を汚しました。ごめんなさい。赦してください。」ということであった。

 「赦してください」と言う者に、「赦せねーー!! 」などと息巻くクリスチャンはいない。教団がこう発表した以上、もうこの事件は神様にお任せして、人が論じるベきではないのかも知れない。だけれど、どうしてもアタシは『臭いものには蓋をしろ方式』の、日本特有のファジーさを感じてしまうのだ。

 そりゃ、牧師が主婦とホテルに行ったという事実だけでも、確かに主の御名を汚していると言われても仕方がない。だが、誰かに無理やり連れて行かれたとしたら話は違う・・・。確かに自殺は主の御名を汚している。しかし、誰かに殺されたのなら、話は全く違ってくる・・・。どうしても伊丹十三自殺事件の時のような不可解さが残る。

 「お前、見たんかぁ!?」と言われれば、それまでだ。しかし、事件現場が教会から5キロほど離れた同じ幹線道路脇にある安ホテルだった(誰がこんな場所を不倫に使うか?)こと、彼らが別々に頭から転落した事実は、どう考えても「?」である。 ところで亡くなる約一ヶ月前(11月26日)、松沢師は礼拝メッセージでこう語っていたそうだ。

「闇なるサタンに向かう。僕はそれを怖いとは思わない。悪魔の怖さを知っていますからね。サタンの怖さはハンパじゃないですから。 でも自分の中で俺は徹底的にやってやる、死んでもやってやる、おまえだけは許さない、おまえだけは、絶対に、許さない。僕はね、人間を憎んだって言う気持ちはほとんどないんです。でも、はじめて。 おまえ、サタン、貴様のことだけは絶対に許さない。殺してやるからな。俺が死んでも許さない。俺は殺されますよ逆に、死ぬしかないから。 サタンは卑劣ですよ。俺にだって卑劣なところはあるかもしれない。でもそれを超えている。人の愛を利用し、その弱点をついて中に入ってくる。俺はそうはいかない。俺はそうはいかない。俺はこの成増教会を守りたいし、神様に守ってほしいし。」

 アタシが牧師になる前、ある人からこんな話を聞いたことがある。「私の妹が、ある教会を通して受洗しました。ところがその約半年後、妹は受洗した同じ場所で入水自殺をしてしまいました。教会は妹の葬儀を断わって来ました。いろんな事情があるのでしょうが、教会とはそんな冷たいところなのですか?」と。

 「主の御名を汚した」、「彼は補教師であって牧師ではない」この教団の声明には、彼らに対する哀悼の意が全くない。自殺した少女の葬式を断った教会も然り。無論、彼らには彼らの主張があるのだろう。「だから、日本の教会は3K(Katai‐Kurai-Kibishii)などと言われるのだ! 」などと今更言うつもりはないが、やはりどこか寂しい思いが残る。

 いずれにせよ、この世界が悪魔に牛耳られている以上、この世は人間の身勝手な主張(アタシが一番?)に溢れている。しかし、天国が到来する前に、人は神様側につく者と、悪魔側につく者との二つに分割される。これが所謂、『神の裁き』なのだが、この行為があって初めて、人は公平に扱われるのである。

 従って、神様の裁きは、決して恐ろしいものではなく、実は私達人間に対する究極の愛の行為なのである。その神様の裁きのポイントは、生前に『何をしたか?(Doing)』ではなく、『どうであったか?(Being)』その動機だけが問われる。真相は神のみぞ知るのだ。

 ちなみに天国に行った時、先ず驚くことが三つあるそうな。その一、「何で自分がここにいるんだろう?」(なるほど・・・謙虚よね)。その二、「何であの人がいないんだろう??」(う”!!身につまらせられる..)その三、「何であの人がいるんだろう???」 そう、この世でどう言われようが、天国は入った者勝ちなのさ!!
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